![]() |
<一貫斎(いっかんさい)の生い立ちと業績> ![]() 9歳で父の名をついで国友藤兵衛(とうべい)と名のり、一貫斎と号(ごう)しました。幼少のころから父のきびしい教えを受け、17歳で父のあとをつぎ、年寄脇となりました。 一貫斎は、腕のよい鉄砲鍛冶として活躍しただけでなく、気砲(空気銃)の開発や、鉄砲製作方法の公開、それに天体望遠鏡の製作や、それを使った天体観測など多くの業績(ぎょうせき)を残しました。 彼は、天保11年(1840)、幕末(ばくまつ)の激動(げきどう)を前に自宅で永眠(えいみん)しました。享年(きょうねん)63才でした。 |
1.当時の国友鉄砲鍛冶 2.鉄砲鍛冶としての一貫斎 3.科学者・一貫斎と天体望遠鏡 4.その他の業績 5.一貫斎 略年譜 6.一貫斎関連リンク集 |
![]() 一貫斎の生家 |