日本で初めて天体観測をした科学者

<一貫斎(いっかんさい)の生い立ちと業績>

 国友一貫斎は、安永7年(1778)、国友鉄砲鍛治の年寄脇(としよりわき)の家・藤兵衛家に生まれました。幼名(ようめい)を藤一(とういち)といいました。
 9歳で父の名をついで国友藤兵衛(とうべい)と名のり、一貫斎と号(ごう)しました。幼少のころから父のきびしい教えを受け、17歳で父のあとをつぎ、年寄脇となりました。
 一貫斎は、腕のよい鉄砲鍛冶として活躍しただけでなく、気砲(空気銃)の開発や、鉄砲製作方法の公開、それに天体望遠鏡の製作や、それを使った天体観測など多くの業績(ぎょうせき)を残しました。
 彼は、天保11年(1840)、幕末(ばくまつ)の激動(げきどう)を前に自宅で永眠(えいみん)しました。享年(きょうねん)63才でした。

1.当時の国友鉄砲鍛冶

2.鉄砲鍛冶としての一貫斎

3.科学者・一貫斎と天体望遠鏡

4.その他の業績

5.一貫斎 略年譜

6.一貫斎関連リンク集

一貫斎の生家

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This page was last updated on 1998/10/14.
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