4.その他の業績



 一貫斎は、鉄砲づくりの名工(めいこう)にとどまらず、発明家としても数々の業績(ぎょうせき)を残しています。
 江戸から帰った一貫斎は、新しい知識と自らの独創的(どくそうてき)なアイデアで次々とすばらしい発明をしています。


お も な 発 明 品
「鋼製弩弓(どきゅう)
 老中松平定信の依頼で、連発可能な弓を作成しました。この弩弓は、特殊(とくしゅ)な焼き入れをした鋼(はがね)を使っており、40〜50mも飛び、強い弓と同じ威力(いりょく)があったといいます。

国友町日吉神社所蔵
「神鏡(しんきょう)
 見たところ普通の鏡ですが、太陽の光線を受けると鏡の裏の紋様(もんよう)が表面に浮(う)かび出てくる不思議な鏡です。
 これは、水戸徳川家に秘蔵(ひぞう)されていました。学者にもその原理がわかりませんでしたが、それを修理し、その後同様のものを作成して水戸家や神社に贈っています。
「懐中筆(かいちゅうひつ)
 現在でいえば万年筆に当たるものです。筆のじくの部分に綿がつめられていて、スポイトを使って墨汁(ぼくじゅう)をしみこませます。
 筆先の出し加減で墨の濃さが調節できます。
「玉燈(ぎょくとう)
 照明器具の一種で、水の上に油を浮かし、燈芯(とうしん)に火をつけます。普通の皿燈に比べ、油を経済的(けいざいてき)に使い、しかも明るくできています。

「町間見積遠眼鏡(ちょうけんみつもりとおめがね)
 距離測定器の一種です。従来の測定器にレンズなどをつけ、改良したものです。精巧で、性能はオランダ製のものと同じで、値段は10分の1(2両余り)だったといいます。
 一貫斎は、こうした数々の発明以外にも、「水揚げ」(ポンプの一種)や「鉄砂吹分法」などの工夫考案をしました。

 また、現在の飛行機・飛行船の構想(こうそう)も抱いていましたが、残念ながらこれは実用にはいたりませんでした。




町会館前に建つ
一貫斎の顕彰碑
 一貫斎は、もともと優(すぐ)れた鉄砲鍛冶であり、科学的な思考態度(しこうたいど)を持つ人物でした。しかし、それだけではこの偉大(いだい)な業績(ぎょうせき)を残すことはできなかったでしょう。
 彼はその手記(しゅき)に、「新規(しんき)ノ細工(さいく)五度十度仕損(しぞこない)シハ常也(なり)。此(この)仕損度々聊(いささか)タリ共近寄也。[新しい仕事は、5回や10回失敗することは常(つね)である。失敗のうちに少しずつ成功に近づいていくものである]」と書いていますが、失敗をくり返しながらも、たゆまぬ努力を怠(おこた)らなかったことが、彼の仕事を支えた最大の力でした。望遠鏡の製作に着手(ちゃくしゅ)したのは、55歳であったというのも、晩年(ばんねん)まで探究心を失わず努力を続けていた科学者一貫斎の姿(すがた)を示しています。

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This page was last updated on 1998/10/13.
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