江戸時代の中頃になると、社会が安定して、鉄砲の注文も減少(げんしょう)し、また幕府の財政難(ざいせいなん)の影響(えいきょう)もあって、国友はだんだんと活気を失っていきました。
 そのため、鉄砲鍛冶たちには、鉄砲づくり以外にも収入の道を求める必要が生まれました。しかし、このことが、国友に文化の華(はな)を開かせることになりました。
 いわば、軍事(ぐんじ)産業から平和産業へと転換(てんかん)が行われたのです。銃身への象眼(ぞうがん)の技術を生かして曳山(ひきやま)の飾(かざ)り金具が生み出され、火薬の調合(ちょうごう)技術から花火づくりが生まれました。

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This page was last updated on 1998/10/10.
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