能筆の茶人 辻 宗範(つじ そうはん) |
能筆(のうひつ)の茶人、遠州流(えんしゅうりゅう)中興(ちゅうこう)の祖(そ)とも称(しょう)される辻宗範は、宝暦8年(1758)、国友に生まれました。幼時から漢学を学び、成人後は遠州(えんしゅう)流の奥義(おうぎ)を究(きわ)めました。
文化6年(1809)、52歳のとき江戸に出て小堀遠州亡きあと衰退(すいたい)していた遠州流の中興に大きな役割を果たし、将軍家の茶道(さどう)の師範(しはん)もつとめました。彼の諸芸は、茶道(さどう)、華道(かどう)、書道、礼法、和歌、俳句、絵画、造園など多方面にわたり、多くの門人を育ててきました。
彼の叔父(父の弟)丹治は、彫金師の臨川堂充昌(りんせんどうみつまさ)、姉ミワは、国友藤兵衛一貫斎(いっかんさい)の母。
晩年は、尾張藩からの高禄(こうろく)での招(まね)きも断って、国友で真宗信仰(しんしゅうしんこう)の道に入り、天保11年(1840)83歳の生涯を閉じました。
(宗範屋敷跡の石碑より) |
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