花 火



 花火は、もともと合戦のとき見方に合図を送る「のろし」が元祖(がんそ)といわれています。その後、「流星」が登場し、花火へと変化していきました。江戸時代後期には、町人文化が興(おこ)り、花火はそれとともに全国的に盛んになりました。
 鉄砲鍛冶たちは、火薬の調合技術を生かして、芸術花火の作成に取り組みました。当時の火薬は、硝石(しょうせき)、硫黄(いおう)、木炭を混合した黒色火薬でした。
 国友の花火師たちは、関西を中心に遠くは、岡山や広島まででかけて活躍しました。こうした興業(こうぎょう)は、大正末から昭和の初めごろまで続けられていたといいます。



復元された花火の陣屋
 国友には4つの陣屋(じんや)が残されていますが、その中でも西組の陣屋は、現存する長浜最古の花火の陣屋です。

 筒、筒蓋(つつぶた)、提燈(ちょうちん)、幔幕(まんまく)、ふきぬき、あげはり、まとい、陣笠、ほら貝などの付属品も充実しています。
 陣屋は、約3.64メートル四方、正面の出入り口は、城門のような形をしています。

 周囲には、7幅の定紋(ていもん)染出しの幔幕(まんまく)をめぐらし、囲いの内は天網(てんもう)を張って、不発弾に備えています。



筒蓋(つつぶた)とほら貝

花火の型


手筒

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This page was last updated on 1998/10/10.
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