宮川陣屋跡、垣見氏屋敷周辺

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宮川陣屋跡の碑
 宮川藩は、江戸時代に近江に置かれた譜代(ふだい)の小藩です。領主は、堀田氏といいます。堀田氏は、もとは上野国(こうずけのくに)吉井藩の領主でしたが、元禄(げんろく)11年(1698)に、移ってきました。参勤交代を行わない定府大名です。領地は、坂田・愛知・蒲生・甲賀の4郡1万石で、坂田郡宮川村(現:宮司町)に陣屋を置きました。
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垣見氏の屋敷の門付近
 垣見氏は、文明(ぶんめい)3年(1471)に、比叡山から坂田荘の荘官(しょうかん)をまかされています。

 その後、垣見氏は、浅井氏につかえました。

 屋敷のそばを流れる川は、垣見氏の屋敷の前で二つに分かれています。北側の十一(といち)川は、宮司町西部の、また南側の中島川は、宮司町西部から勝町、四ツ塚町にかけての水田のかんがい水路になっています。

 これらの水路が、垣見氏の屋敷の堀になっていることから、垣見氏がこの地域の水利をつかさどっていたことが分かります。

屋敷の堀になっている十一川

川が屋敷の前で二つに分水

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(最終更新日 : 1998/08/19)
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