「お宮のひょうたんと的石」 |
歌はまだまだ続きます。京極井戸は神木(しんぼく)の欅(けやき)の青葉をうつして神々(こうごう)しく静まり、子どもたちの歌声は鎮守(ちんじゅ)の森にこだまして消えてゆきます。
ここの神社では、参道(さんどう)の両側に立つ大欅(けやき)に注連縄(しめなわ)が張られて、鳥居(とりい)の役を果たしていたそうです。
この神社の前の道を隔(へだ)てた西南の川端(かわばた)に、元運輸大臣村上義一氏の筆になる「宮川陣屋(じんや)跡」の大きな碑(ひ)が立っています。人々は、その碑の石に「的石(まといし)」を選んだのです。この的石というのは、昔、宮川藩の調練場(ちょうれんじょう)に立っていたもので、家来たちが弓の練習をする時に標的(ひょうてき)にした石です。大きさといい、由来(ゆらい)といいちょうど碑にふさわしいというので話は一決しました。
早速(さっそく)、的石の立っていた調練場の薮(やぶ)のあたりを探したのですが、どこにも見当りません。かんたんによそへ持ち出せるものではないので、不思議(ふしぎ)に思いながらもあきらめて帰りかけました。すると一番後ろから薮を出ようとした一人が、調練場のまわりを囲(かこ)んだ堀(ほり)にかかっている石橋(いしばし)にふと目をやりました。
「あったぞ。的石があったぞ。この石橋が的石にちがいない」
そうです。的石は石橋にばけていたのです。朽(く)ちた木の橋にかえて、いつの時代かに架(か)け替(か)えたのでしょう。みんなは大喜びでこの的石を掘り起こし、きれいに洗って記念碑にしたのです。
かつて領主(りょうしゅ)であった宮川陣屋の殿さま堀田(ほった)氏を慕(した)って、明治以来(いらい)願っていたことがかなったのです。