「調練場の薮(やぶ)



 宮司(みやし)には、堀田氏の時代に使われた調練場(ちょうれんじょう)の跡(あと)が大きな薮(やぶ)になって残っていました。調練場とは、殿さまの家来たちが武芸(ぶげい)を習い、いくさの訓練をした場所のことです。そこには、いろいろな話が伝えられています。

 ある男が、用事があってこの調練場の薮(やぶ)の中にはいりました。薮の中には一木の小路(こみち)がありました。その道をたどってだんだん奥の方にやってきますと、花火の打上げに使う筒(つつ)のような形をしたものが道をまたいでころがっていました。それは青黒い色をしていました。「だれじゃ。こんな所へ、こんなものを放り出して」と、大して気にもとめず「よいしょ」と、またいで通りました。

 しかし、しばらく歩いてから、なんとも不思議(ふしぎ)なむなさわぎがするので、さっきの所へ引きかえしてみました。するとどうでしょう。さっき花火の筒(つつ)と見た青黒い太い物は、ずるずるっと引きずるように茂みの中へはいっていくではありませんか。

 しばらくはぼんやりとつっ立っていましたが、そのものが通った跡(あと)は草が倒れたままになっていて、青臭(あおくさ)いにおいだけが残っていました。この男は、にわかに背筋(せずじ)が寒くなり、一目散(いちもくさん)に家へ逃げ帰って数日間熱を出して寝てしまったそうです。これは調練場の大蛇(だいじゃ)の話です。

 また、こんな話も伝えられています。

 この薮(やぶ)に沿った道を、長浜から魚を売りに来る人がよく通りました。ところが、その魚屋さんがここを通るとよく道に迷って、自分の行き先がわからなくなるのでした。

 ある日も、魚の荷(に)を負(お)いねたまま、植えたばかりの田の中をうろうろと歩き回っています。

「おい魚屋。何してるんじゃ。稲(いね)がむちゃむちゃになってしまうやないか」

 百姓(ひゃくしょう)に大声で呼びもどされ、その上ひどくどやされて魚屋さんはやっと気がっきました。

「もしもし、ここはどこどすんじゃ」

 それでも魚屋さんは、泥(どろ)によごれた足をひきずりながら寝言(ねごと)のようなことを言っています。百姓はおかしいやら気の毒(どく)なやらで、

「ここはあんた、宮川の調練場(ちょうれんじょう)ですぜ」
「えっ。宮川の調練場。またやられた。魚も全部取られてしもたか」

 魚屋さんは、ぶつぶつつぶやきながら町の方へ帰って行きましたが、それ以来ここは通らなくなったそうです。ここにはきっと、たちの悪いキツネが棲(す)んでいたのでしょう。

(「長浜の伝承」長浜市教育委員会:編 参照)


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(最終更新日 : 1998/08/25)
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