| 浜ちりめんの歴史(3) |
| 株仲間の結成と彦根藩の保護 |
藩は、宝暦10年(1760)には、林助と庄九郎を織元(おりもと)に命じました。この織元というのは、藩のために製品を検査して検印を押し、印料を徴収(ちょうしゅう)するという役目だそうです。
彦根藩の統制下で、ちりめん業者は、すべての製品を難波村の織元に送り、印料を納めました。「浜ちりめん」を高級織物の一大消費地である京都で販売するためには、「彦根藩年貢ちりめん誹機(あつらえばた)」という名義(めいぎ)の「誹札(あつらえふだ)」という鑑札(かんさつ:許可証)が必要だったからです。 これにより、彦根藩は、有利な財源(ざいげん)を得たといいます。 こうして「浜ちりめん」は、彦根藩の生産と販売の両面からの支援もあって、大変売れるようになったといいます。 |