浜ちりめんの歴史(2)



西陣の反対運動に対抗

 西陣(にしじん)の業者たちの反対にあった林助と庄九郎は、生活に困っている農民たちを救いたいとの願いから、とうとう幕府が禁止していた強訴(ごうそ)という手段に出ました。
 しかし、このため二人は、罪に問われ、二条役所の牢獄(ろうごく)に入れられてしまいました。

 その後、許された二人は、いろいろ考えたすえ、宝暦5年(1755)に、彦根藩(ひこねはん)へ保護を願い出ることにしました。

 これに対して、彦根藩では、藩の御用商人(ごようしょうにん)・近江屋善兵衛に調べさせることにしました。その結果、彦根藩への年貢(ねんぐ)としていったん藩に納め、年貢の余りを藩が京都で売り出すという形をとればよいことがわかりました。当時、彦根藩は財政(ざいせい)に困っていたので、京都町奉行と交渉(こうしょう)し、許可(きょか)をとりつけました。
 こうして、宝暦9年(1759)11月、「浜ちりめん」は、京都市場へ進出することができるようになりました。


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(最終更新日 : 1998/11/28)
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