さいかち浜

| 南まわりコース地図1 |





樹齢400年という
さいかちの木
 下坂浜の南の方、田村までの湖岸には「さいかち」の木が数多く生えていました。その名残がこの樹木で、下坂浜の南、家並みはずれに老木となり、一本残っています。このため、このあたり一帯の湖岸を「さいかち浜」といいます。

 今から400年前、ここで真宗寺院の門徒であった人々が多く討ち死にする戦闘が行われました。

 当時、天下統一をめざす織田信長とそれを妨げようとする浅井長政とがするどく対立していました。
 元亀2年(1571)5月、湖北10ケ寺の門徒は本願寺の指令によって、浅井方に味方して、、信長の部下である箕浦城を攻めました。急を聞いた信長は、秀吉を差し向けました。
 門徒の人々は、厚い信仰心によって堅く団結し一向一揆の勢力として大きな力を持っていましたが、数は多いとはいえ、戦争にかけてはアマチュアです。プロの秀吉軍等にさんざんに打ち破られて、今浜(長浜の旧名)に向かって敗走を始めました。一人も逃がすなと秀吉の軍勢に追いたてられます。秀吉は馬上からこのありさまを見ると、一隊を先まわりさせて今浜への道路を断たせました。一揆の人々は逃げ道を失って、湖の中にとびこみました。泳げる者は北に向かって泳ぎ、泳げない者は沖の方へ追われ、力尽きて湖に沈んでいきました。

 こうして、真宗門徒の人々は「さいかち浜」で最後の一戦をまじえ完敗したのです。 


※さいかちの木
まめ科サイカチ属。落葉高木。小枝にトゲがあり、大木になる。開花は5〜6月、熟果は10月。トゲがある枝を切り、道に並べ、敵を防ぐバリケードに使用した。

さいかちの木の葉

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(最終更新日 : 1998/08/22)
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