旧 船着場

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慶雲館前にある石碑
 室町時代から江戸時代にかけて、長浜は、近江三湊(みなと)の一つに数えられる港町として大変にぎわいました。最盛期には、大丸子船(おおまるこぶね)の数は、67艘(そう)もあり、塩津、大津に次いで県内で3番目だったそうです。
 米川の地形が天然の良港を形作り、川沿いには、回船問屋や旅籠(はたご)が軒を連ねていました。特に、現在の船町辺りは、湖北地方の農産物、海産物などの物資の集散基地でした。
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旧船着き場(米川河口)付近
米川には、今も石段や石垣が残っています。

舟板塀(ふないたべい)
 川沿いに並ぶ商家、土蔵、土塀などの腰板には、使わなくなった船の板を利用しているものがあります。
 いらなくなった船の再利用ということもあったでしょうし、また、船を持っている商人たちのその富と勢いのシンボルでもあったのでしょう。

鞴橋(たたらばし)の常夜燈
1815年に建てられた常夜燈

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(最終更新日 : 1998/08/21)
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