大通寺

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山門
 大通寺は真宗大谷派の別院で、長浜御坊(ごぼう)と呼ばれています。
 湖北と福井県敦賀郡を教区とする真宗門徒の中心寺院で、天正年間(1573〜1592)、湖北地方の信者が寄合道場をつくり、会所とか総坊と呼んだのが大通寺のはじまりだとされています。

 開基は真宗大谷派初代教如上人と伝えており、慶長7年(1602)東本願寺が建立されると、湖北3郡の末寺はこの総坊を大通寺と呼ぶようになり、、承応元年(1652)長浜城跡から現在地に移りました。

 本堂は、東本願寺にあった伏見城の遺構を移したものといわれ、阿弥陀如来をまつるところから、阿弥陀堂とも呼ばれ、桃山時代の建築です。

 広間の玄関は宝暦10年(1760)当住、横超院の内室であった数姫(彦根藩主井伊直惟の息女)によって祖師聖人500年忌に増築されたものです。広間の内部の帳台構等の部分には極彩色の狩野派の花鳥図、花卉(かき)図、人物図などが描かれ、その金具にはこの建物が建てられた桃山時代特有の五三の桐と唐草文様をあしらっています。

本堂前にあって南面する山門は文化5年(1808)に起工され32年間かけてようやく完成した堂々たる二層門です。

 塀つづきにある脇門(台所門)は、二層門ができるまで山門に使われていましたが、元長浜城の大手門であり、その門扉には、本能寺の変のとき明智側に属した京極氏が攻撃した当時の矢や銃弾の痕(あと)が残っています。

 その他、客室や庭園、屏風、襖絵など貴重な文化財を多数保有しています。

本堂(伏見城の遺構)

南西より境内をのぞむ

台所門(元長浜城の大手門)

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(最終更新日 : 1998/08/21)
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