良疇寺には、蕉門俳諧(しょうもんはいかい)の隆盛の証(あかし)が残されていました。 ご住職のお話では、かつてお寺で盛んに句会が催されていたのではないかといいます。 その中心人物は、松菓五蔭(しょうかごいん)という人物で、芭蕉の門弟・森川許六(彦根出身)の孫弟子になるそうです。彼は、宮川藩の代官で、その代官屋敷がお寺の東側に隣接して建っていたというのです。(彼の墓も、良疇寺にあります。) そうした関係で、良疇寺で、度々大がかりな句会が催され、そうした折りに、下の写真の木像を飾り、芭蕉を偲(しの)んだのだろうといいます。 |
![]() 芭蕉翁の木像 厨子(ずし)は、干瓢(かんぴょう)の実
※この像は、お寺の什宝で、一般公開されていません。 |
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