「太閤さんの虎石(とらいし)



 豊国(ほうこく)神社の前にある瓢箪池(ひょうたんいけ)のほとりに、小高い築山(つきやま)があって、その上にちょうど虎(とら)のうずくまったような石が据(す)えつけてあります。それには注連縄(しめなわ)が張っていて、昔は竹囲(たけがこ)いがしていました。この石を町の人々は太閤(たいこう)さんの虎石(とらいし)と呼んでいます。

 虎石はもと長浜城内にあって、秀吉が大切にしていたと言い伝えられていましたが、いつの間にか大通寺の境内(けいだい)に移されていました。

 ところがその石が、大通寺の御連枝(ごれんし)の夢枕(ゆめまくら)に立ち、

「いのう、いのう。」

と三日三晩泣きつづけました。そんなに虎石が帰りたいのなら、元の城内の一部である豊国神社境内に移そうということになりました。しかし、御連枝の夢枕に立ったというのは作り話で、次のような面白(おもしろ)い話があります。

 そのころ船町(ふなまち)にひょうきんな男がいました。町内を大声で、

「かじや!鍛治(かじ)屋」

と、怒鳴(どな)って歩き、人の騒(さわ)ぐのをみておもしろがっていました。この男、よほど閑人(ひまじん)とみえて、大通寺にある虎石を、元の城内へ移してみようかと考えつき、他の人に言うと、

「そんなことがお前に出来るか。」

と言われたので

「うん!出来るよ。きっとやってみせる。」

とみょうな自慢(じまん)をするから、人はせせら笑っていました。

 ところがその男は、それから逢(あ)う人々へ、虎石の話をもちだして、

「あの虎石がね、毎晩、御連枝さまの夢枕に立って、いのう、いのう、と、訴(うった)えよるというこっちゃ。御連枝さまは、夜ごと虎石に立たれるので、たいへん気にかけられ、おちおち眠れないで困(こま)っておられるというこっちゃよ。」

と、いかにも見てきたようなことを言い、根気(こんき)よく逢う人びとに話しかけました。

 この根気のよい話が町内の噂(うわさ)になり、とうとう本当に移転(いてん)の話が持ちあがって、大通寺から、旧城内の豊国神社に移されたということです。

(「長浜のむかし話」 長浜市老人クラブ連合会:編 参照)


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(最終更新日 : 1998/08/27)
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