「黄金千両の壷(つぼ)



 江戸時代のことです。上坂村(こうざか)にたいへんな親孝行(おやこうこう)の娘さんがいました。彦根藩の家臣(かしん)、木戸豊右衛門方に奉公(ほうこう)していましたが、ある日、風のたよりに、郷里の母が病気になり寝こんでいると聞き、娘はすぐ主人にお休みをいただきたいと願い出ました。ところが悪いことに藩主(はんしゅ)が江戸に下っていた時で、「里方(さとかた)へ確かめよ。」と言うばかりで、一向(いっこう)に許(ゆる)されそうにありませんでした。

 娘は万一を気づかい、心配のあまり、奉公(ほうこう)をやめ、取るものも取りあえず家に帰ることにしました。

 その帰り路、田村の多田幸寺(ただこうじ)山にかかろうとした時、月の光をうけてなんとも不思議(ふしぎ)な様子で輝くところがありました。娘が恐る恐るそこを通ろうとしますと、どこからともなく薬師(やくし)様のお声が聞こえてきました。

 孝行娘は、仏様のお助けと信じ、その方に進んで行きました。すると、半分ばかり土に埋まった素焼(すやき)の壷(つぼ)がありました。娘はその壷を掘りおこして、家路へ急ぎました。

 帰ってみると、母はほんとうに生きるか死ぬかの大病でした。娘はこの尊い仏様からのくだされ物である千両の金で、充分ゅうぶん)に母の看病(かんびょう)をしました。そのかいあって、母の病気も日増(ま)しによくなり、とうとう治(なお)って元気になりました。

 その後、母子ともどもに、薬師(やくし)様を礼拝(れいはい)し、仏様のご恩(おん)に感謝(かんしゃ)して、日々をしあわせにすごしたということです。今も田村の多田幸寺に、薬師様がお祀(まつ)りしてあります。

(「長浜のむかし話」 長浜市老人クラブ連合会:編 参照)





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(最終更新日 : 1998/08/25)
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