「お花きつね」



 むかしから、長浜御坊(ごぼう:長浜別院大通寺)の大広間の天井(てんじょう)に、お花というキツネが住んでいると言われています。ここには、梯子(はしご)がかけてあり、毎日この梯子を登って油揚(あぶらあ)げを供(そな)える人が、後を絶(た)たないと言うことです。

 このキツネの話は、長浜御坊の移転問題(いてんもんだい)のときから始まります。江戸(えど)時代の初めごろには、御坊は長浜城跡(ながはまじょうあと)にありました。

 ところが、この御坊をもっと賑(にぎ)やかな町の中へ移そうとする運動がおこりましたが、賛成派(さんせいは)と反対派(はんたいは)との間で意見が鋭(するど)く対立(たいりつ)して、結論(けつろん)が出ませんでした。そこで両派(りょうは)は、本山(東本願寺)の宣如上人(せんにょしょうにん)に決めていただこうということになりました。賛成派は舟で京都へと向かました。一方、反対派の人たちは陸路(りくろ)を京都へ上ることになりました。

 反対派の人たちが野洲(やす)まで来ますと、そこに一軒(いっけん)の茶店(ちゃみせ)があり、お花さんというかわいらしい娘が働いていました。お花さんはやさしく接待(せったい)をしてくれましたので、みんなはお花さんが気に入り、お酒(さけ)を飲んで酔(よ)いつぶれてしまいました。そこで、やむなく茶店で泊(と)まることになりました。ところが、次の日、茶店を発(た)ち、野洲川へさしかかると、川は大水で渡(わた)ることができません。仕方(しかた)なく水が引くのを待つこと五日、ようやく川を渡ることができました。人々は、京都へ急ぎましたが、ちょうどそのとき、移転派(いてんは)の人々が上人のご裁可(さいか)をいただいて、下山してくるところへ、ばったりと出会いました。後から出発したはずの者が先に着いているとは、不思議(ふしぎ)なこともあるものだなと思いましたが、移転のご裁可の後なので、どうすることもできません。

 がっかりした反対派の人々はもと来た道を引き返しました。野洲川のほとりまで来て、
「お花さんの茶店で一杯飲んで帰ろう」
ということになり、茶店のあったところへ来てみると、これはいかに、あの茶店は跡(あと)かたもありません。お花さんももちろんいませんでした。
不思議に思って村人にたずねてみると、
「そんな茶店なんてはじめからありませんよ」
とのこと。
 反対派の人たちはキツネにつままれたように顔と顔を見合わせました。そして、
「城内(じょうない:当時、御坊は長浜城跡にあった)のキツネが移転に賛成なら仕方がないな」
と話し合って長浜へ帰ったそうです。

 長浜御坊のお花キツネは、そのときの茶店の娘と同じ名だということです。

 その後、このお花きつねにまつわる話が、たくさん伝えられています。

(「長浜のむかし話」 長浜市老人クラブ連合会:刊/「湖北 ながはま」 長浜青年会議所:刊 参照)





[このお話をとじる]

(最終更新日 : 1997/10/26)
Copyright (C) 1997. by Hideo Hirobe.