「鯉(こい)が池」



 田村山の東の方の頂上(ちょうじょう)に登ると、今は雑木(ぞうき)が生えていますが、昔は、池であったと言われているくぼみがあります。

 その池には、ずっと古くから、池の主(ぬし)という大きな鯉(こい)が住んでいました。また、この池から戌亥(いぬい:北西)にあたる村里に、それはみめうるわしい一人の娘が、毎日糸繰(く)りを仕事に暮らしていました。

 ふとしたことから、この娘を知った池の主の鯉(こい)が、美しい稚児(ちご)の姿に化して、日毎夜毎(ひごとよごと)に、この糸繰(く)り娘の所へ、恋のささやきに通い続けるようになりました。共に若々しい二人の心ははげしく燃(も)え、日を重ねるにしたがって、互(たが)いに親(した)しみを増(ま)していきました。

 娘の母親は、日毎夜毎熱心(ねっしん)に通い続ける稚児(ちご)の住み家は、一体どこだろうかと知りたく思いました。そこで考えたあげく、ある日、娘の繰(く)る糸の先に釣針(つりばり)を取りつけて、そっと稚児の袴(はかま)の裾(すそ)に引っかけておきました。

 稚児は帰って行きました。母親は糸をたよりに、その道筋(みちすじ)をたどって行きました。ところが、田村山の頂上の池のそばまで来ますと、糸は切れていて、行き止まってしまいました。はて、これはどうしたことか、付近(ふきん)には、家らしい造作(ぞうさ)も見あたりません。不思議(ふしぎ)に思い、ふと池の中をのぞきこんで、びっくりしてしまいました。大きな鯉がいて、その背(せ)びれに釣針(つりばり)が突(つ)きささって、死んでいるではありませんか。母親は、たいへんおどろき、われを忘(わす)れて、一目散(いちもくさん)にわが家へ飛んで帰りましたが、体中に寒気(さむけ)がさして、そのまま寝(ね)こんでしまいました。

 ところが、ある夜、母親の夢枕(ゆめまくら)に、かねての稚児(ちご)があらわれて、
「私はあの池の主です。今、この針が私の体の急所(きゅうしょ)にささって、死んでいきますが、これから田村付近は水不足になりましょう。」
といって、湯煙(ゆけむり)のごとく、どこかへ消(き)えて行きました。

 それから幾日(いくにち)かたって、ある日のこと、母親は、自分のしたことを悔(く)いて、その池までおわびにやって来ました。すると、急に空がかき曇り、ものすごい大雷雨(だいらいう)となりました。池の南の松の大木のかげに、じっと身をよせてかがんでいますと、先日、池で見たあの大きな鯉が、飛びはねて、あたりの小岩を体に二度三度ぶっつけたかと思うまもなく、見るも恐(おそ)ろしい龍(りゅう)と化して、大雨風と変わった中天(ちゅうてん)をめざして、高く高く昇(のぼ)って行きました。

 その後、人々はこの池を「鯉が池」と呼ぶようになったと言われています。

 田村町やその付近には、雨乞(あまご)いの行事や風習について、この物語にまつわるいろいろな話や催(もよお)しがあると聞いています。

(「長浜のむかし話」 長浜市老人クラブ連合会:刊 1977/02 より)





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(最終更新日 : 1997/10/26)
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