「流れ岡の神さま」



  伊吹の大神であったシモハヤヒコノ命(みこと)には三人の命があり、兄はタタミヒコノ命、姉はスサシヒメノ命、妹はアザイヒメノ命と申しました。どなたも龍神(りゅうじん)様で、坂田、浅井、伊香の水を支配されていました。兄の命は気吹雄命(きふきおのみこと)となり、伊吹山の神として伊夫貴神社に、姉の命は坂田姫命となり、姉川の神として上坂神社に、妹の命は浅井姫命となり、妹川の神となられましたが、兄の命と争われたこともあって、竹生島の都久夫須麻(つくぶすま)神社にお祀(まつ)りしています。

 姉の命である坂田姫命は、見る目にもまばゆい金の蛇(じゃ)となり、岡のような大きい岩に乗って、伊吹山から下ってこられました。姉川の流れに沿うて七尾山をめぐり、臥龍山(がりゅうざん)の鼻のところを回って、広々とした上坂田の野を見わたす所にとどまられました。
 人々は、流れ岡の神さまと尊(とおと)びました。

 いつの時代だったか、少し南にひらけた村の中の社(やしろ)に移され、上坂田の宮となられたとも伝えられています。天照大神(アマテラスオオミカミ)と神器(じんぎ)を、大倭(やまと)笠縫宮(かさぬいのみや)から五十鈴(いすず)川上流にお移しになるみちすがら、淡海(おうみ)坂田宮に2年間お祀(まつ)りしたことのある坂田の宮は、この社であると村の人々は信じています。


 姉川の合戦のとき、織田信長、徳川家康らがこの付近に陣をしくにあたり、この神社にお祈(いの)りをして戦に勝ってから、流岡を勝山と呼び、流岡の神を勝山明神と尊んできました。今は一般にこの山を岡山と呼びます。樹齢1300年と伝える大きい杉の木がそびえている岩のかげに祠(ほこら)があり、お年寄りの中にはここで金の蛇を見たという人もあって、今も村の人々の信仰を集めています。
(「長浜の伝承」 長浜市教育委員会:編 参照)





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(最終更新日 : 1998/08/24)
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