「白登が峯(はくとうがみね)



 長浜市の東に連らなる横山の南の端に近いところを、白登が峯(はくとうがみね)と言います。

 この山は昔、名超童子(なごしどうじ)と言う人が、伊布岐(いぶき)山から、このあたりに何とも不思議(ふしぎ)な光が輝(かがや)くのを見て、これはただごとではないと感じ、この頂上(ちょうじょう)の大岩の上で坐禅(ざぜん)をし、お祈(いの)りをしました。

 ある日、夜がふけて、息長宿禰王(おきながすくねおう)が現れて、お告(つ)げをされました。名超童子は、そのお告げにしたがい、この地で弥勒(みろく)・薬師(やくし)の二つの仏像を作って、名超(なごし)寺と冨施(ふせ)寺を建てられたのだということです。

 その後、冨施寺の恵賢阿闍梨(えけんあじゃり)の時、大変な日照りが続いたので、天皇の命令により、仏さまに雨が降るようにお祈りをされました。すると、この辺り峯々(みねみね)より、にわかに黒い雲が湧(わ)き起こり、雷が光り、雨が大変はげしく降り出しました。そして、突然(とつぜん)一条(じょう)の光がさし、白い龍(りゅう)が天に昇っていきました。村人たちは恐るおそる、あれよあれよと眺めていたということです。

 以来この山を「白登が峯」と言い、大蛇(だいじゃ)の住む山、尊(とうと)い山と伝えてきました。

 明治初期の地検書(ちけんしょ)作成のとき、白登が峯を、鳩(はと)が峯としたということです。

 今は、ただ山上に昔ながらの大岩が残っているばかりですが、この岩を坐禅(ざぜん)岩、または、登天(とてん)岩とも言い伝えています。

(「長浜のむかし話」 長浜市老人クラブ連合会:編 参照)





[このお話をとじる]

(最終更新日 : 1998/08/24)
Copyright (C) 1997. by Hideo Hirobe.