<戦国時代の終焉(しゅうえん)>
鉄砲の登場は、世界の歴史を見ても、大きな政治的支配(しはい)と服従(ふくじゅう)の関係を作り出しました。例えば、インカ文明は、スペインの歩兵がわずが500挺(ちょう)の鉄砲を持っていたために滅(ほろ)ぼされたといわれています。
日本では、応仁(おうにん)の乱により戦国時代が幕開けしました。それから鉄砲伝来まで、70数年ですが、鉄砲伝来から織田信長の天下統一までは、わずか30数年に縮(ちぢ)みました。
戦国時代末期は、この鉄砲の登場により、様々な変化が起こりました。戦国大名は、鉄砲所有(しょゆう)の多少によって勝敗が決まることがわかってくると、競って鉄砲を増やしました。信長の長篠(ながしの)合戦を見るまでもなく、この時代の鉄砲を有効(ゆうこう)に使うとなると、2段・3段構えの隊列が必要です。そのため、鉄砲はますますたくさん必要でした。
しかし、それは、鉄砲の数だけではありません。当然、それを取りあつかう鉄砲隊の足軽兵も大勢必要になります。こうした足軽兵は、武士がなったのではありません。当時の武士の数は、ごくわずかでしたので、領地(りょうち)の農民を半ば強制的に取り立てて訓練したのです。
ところが、いざ戦いになると、それまでの合戦とは違って、お互いに鉄砲で攻(せ)め合うため、死傷者が続出しました。そのため、ますます働き盛りの農民を足軽兵に取り立てていったのです。
今まで、農村は、たび重なる戦いに弱りながらも、どうにか持ちこたえてきました。しかし、鉄砲が登場すると、状況(じょうきょう)はさらに悪くなり、農村は大変な事態(じたい)に追い込まれていきました。農地は戦場になります。そして、収穫(しゅうかく)は戦いのために取り上げられ、さらには、耕作のための大切な働き手を次々と足軽兵に取られてしまうのです。こうしたことが続き、水田は荒(あ)れ果て、収穫(しゅうかく)はどんどん減りました。
こうして、食料不足から来る社会不安や混乱(こんらん)から戦乱の終結(しゅうけつ)を望む声が大きくなったとき、信長が現れ天下を統一したといってもいいでしょう。
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