浜ちりめんの歴史(6)



「一越ちりめん」の開発

 日本の繊維(せんい)工業における産業革命は、明治31年ごろを達成の時期として進められてきましたが、浜ちりめんはそれと比べて、10年の遅れがありました。しかし、大正元年(1912)ごろから第一次世界大戦で日本全体が好景気になるにつれ、ちりめん業界もよくなり、力織機(りきしょっき:自動機械)が導入され、小さな家内工業から、工場工業へと徐々に発展しました。このころ、永谷九十造氏と樋口喜久雄氏の二人により、こうした力織機を使った「一越ちりめん」が開発されました。

 昭和になると、生糸の値段が大変安くなりました。原料が安く手に入るようになったことから、浜ちりめんは好景気を迎えます。しかし、第二次世界大戦が激(はげ)しくなり、昭和17年(1942)には、企業整備令(きぎょうせいびれい)が出され、浜ちりめん工場も半数以上が軍需(ぐんじゅ)工場に変わり、ちりめん工場をやめてしまうところも多数ありました。
 そして、敗戦を迎え、日本中が混乱(こんらん)しました。この時期は、原糸生糸は自由に入手できず、配給(はいきゅう)に頼っていましたが、それも困難を極(きわ)めました。

浜縮緬工業協同組合の設立


浜縮緬工業協同組合
 こうした現状をなんとかしようと、度々組合や協会が設立されましたが、運営が思うようにいかず、成果をあげられませんでした。

 しかし、昭和25年になると、浜縮緬工業協同組合が設立され、再出発し、今日にいたっています。



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(最終更新日 : 1998/11/28)
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