| 姉川からの底樋(そこひ) |
| 今町の現在も使われている馬井の底樋 | ||
![]() 馬井(ゆ)の改修記念碑 |
江戸時代中頃まで、北郷里(きたごうり:市内北東部)一帯は、少し日照りが続くと、ひどい水不足になり、農民たちは大変苦労をしていました。 それは、ときには洪水を起こす姉川も、長浜扇状地(せんじょうち)の扇(おうぎ)の要(かなめ)にあたるこの地域では、ふだんは多くの水が川底をくぐって流れてしまうからです。 江戸幕府も姉川から水を引き、樋(ひ:水道)を掘りましたが、不十分なものでした。元禄初年(17世紀末)には、洪水でそれらの幕府の設備もこわれてしましました。 そこで、今村(現:今町)の庄屋孫助・惣右衛門らが彦根藩に改修工事を訴え、許しを得て底樋78間を新設しました。この新しい用水方法に望みをかけた農民たちも、進んで工事に参加しました。 その後、底樋は、たびたび延長されたり、改修されたりして、今日まで約260年もの間、この土地の水不足を救ってきました。 ※底樋(そこひ)……川底へ大きなみぞを掘り、その中へ、松の丸太を組み石を積み重ねて埋め、川底をくぐった水がこの丸太や石のすき間を伝わって流れ出る仕組み。
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![]() 現在の水の流れ口 |
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