長浜八幡神社

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第一の鳥居
 八幡宮は、一の鳥居をくぐると石畳をしきつめた参道が長々と拝殿まで続いています。
 社伝によると延久元年(1069)に源義家の願いで、後三条天皇が命を出し、源氏の氏神である出城(現、京都府)の石清水八幡宮より神霊をうつして勧請(かんじょう:分霊を他の地にも祭ること)させたといわれています。

 義家は、奥州征伐で活躍した帰り道、この八幡宮に立ち寄って、戦勝を感謝しました。この時の参詣の行列をまねたのが今日の太刀渡りの行事であるといわれています。

 八幡宮の創設について、はっきりわかる最初のことは、寛治年間(1087〜1094)に石清水八幡宮の神領が、現在の長浜市からびわ町にかけての地域にあたる細江の荘内にあったということです。当時、荘園には、その領主にゆかりのある神社をまつることが多く、石清水八幡宮領の細江の荘にも、いつの頃からか八幡宮がまつられるようになったのではないかと考えられます。
 また、別の資料によれば、八幡宮は、鎌倉時代にはすでにあったことが確かなようです。

 戦国時代には、他の社寺と同様に、兵火のため衰えました。
 しかし、天正元年(1573)浅井氏が亡びたあと羽柴秀吉が長浜の地の領主となると、その復興に力をつくしました。

 言い伝えによれば、当時、たまたま、秀吉に男子ができ、そのお祝としてふるまわれた砂金をもとにして曳山がつくられ、これが曳山祭のはじまりとされています。

 以前は神仏混淆(こんこう)のため、八幡宮は新放生寺というお寺といっしょになっていました。明治初年の神仏分離によって境内にあった寺院関係のものは、今の舎那院に移し、八幡宮は、現在のような神社だけになりました。

 社殿は、明治18年(1885)に雷火のため焼失したため、現在の社殿は明治22年に建てなおされたものです。

第二の鳥居から拝殿をのぞむ

拝殿(手前)と本殿(奥)

室町時代の様式を残す放生池

松尾芭蕉の句碑

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(最終更新日 : 1998/08/21)
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