2階 展示室案内



 国友には最盛期(さいせいき)に70軒余りの鍛冶屋と500人を越す職人がいたといいます。彼らは、年寄(としより)4人をを中心とした鍛冶組織(「惣鍛冶(そうかじ)」や「仲間(なかま)」)を作って生活をしていました。
 年寄は、幕府からの鉄砲の受注(じゅちゅう)に責任を負い、仕事の割り当てを行いました。


中間相定申一札之事
(長浜市指定文化財)
 国友鉄砲鍛冶たちの連判定書(れんぱんさだめがき)で、38名の連署があります。夜間の外出、ほかの土地の人との口論の禁止などを説いています。

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