妙法寺(みょうほうじ)

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焼け残った表門
 この寺は、秀吉の城下町政策の一環として徳勝寺とともに小谷城下より移されたもので、元は長尾寺といいました。

 古くは、天台宗でしたが、永禄年間(1560前後)に、日蓮宗に改宗されました。
 本堂は昭和27年(1952)に焼失し、そのあとに仮堂があって、境内は駐車場になっています。

 妙法寺の開祖日富上人は秀吉の信任が厚く、天正4年(1576)10月、秀吉の子秀勝が夭逝(ようせい:幼くして亡くなること)したとき、このお寺に葬られ、菩提寺(ぼだいじ)となりました。廟は現在、寺の裏の路地を入ったところにあります。

 この寺には、秀勝公(本光院朝覚居士)の尊像画やたくさんの寺宝がありましたが、昭和27年の火災の時、その多くが焼失してしまいました。

境内の碑

秀勝公廟

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(最終更新日 : 1998/08/21)
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