小堀遠州(こぼりえんしゅう) 出生地



| 東まわりコース地図1 |


小堀町にある屋敷跡の碑
 小堀遠州は、天正7年(1579)長浜市に生まれました。幼いころの名を政一といいます。父の小堀政次は浅井、豊臣、徳川に仕えてた戦国武将でした。慶長9年(1604)には父が亡くなり、家を継ぎました。

 その後、松山城主(12,000石)となり慶長13年に遠江守となりました。それ以後、小堀遠州と呼ばれるようになります。

 遠州は和歌、絵画、花道、茶道にすぐれ、とくに造園にすぐれた才能を発揮しました。

 遠州が作ったといわれる名園は各地に数多くあります。代表的なものをあげると、仙洞御所(せんとうごしょ)、大徳寺孤蓬庵(こほうあん)、金地院(こんちいん)、頼久寺、大池寺などです。

 元和5年(1619)、備中から浅井郡小室城主に移っていますが、小室には一族の墓をはじめ遠州の子の正之が建てた近江孤蓬庵(こりあん:浅井町上野)があります。

<参考資料>
近江孤蓬庵(こほうあん)

現在は、竹やぶとなっている

顕彰碑

遠州をしのんで造られた庭
(JAレーク伊吹長浜中央支所の敷地内)

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(最終更新日 : 1998/08/19)
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