| 潤徳安民(じゅんとくあんみん)の碑 |
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江戸時代の中頃、十一川にそった川下の平方では、日照りが続くと川の水が枯れて大変困っていました。当時の平方は彦根藩の領地でしたが、川上の宮川藩の領地である宮司から水を引くように頼みましたが、聞き入れてもらえませんでした。 そこで、平方の人々は、彦根藩に訴(うった)えました。それでも解決しなかったので、とうとう京都奉行所(ぶぎょうしょ)へ訴えました。しかし、この裁判には、大変な費用がかかりました。大切な水田をや道具を売ったり、家の障子(しょうじ)まで売り払ったりして苦労を重ねました。 ようやく13年目にして、平方は水を引く願いがかないましたが、村はすっかり衰えました。しかし、裁判の借金が、8900両も残っていました。 しかし、彦根藩の奉行であった御薬袋主計(みなえかずえ)が、見かねてあちらこちらに働きかけてくれたおかげで、15年の分割払(ぶんかうばら)いで返せるようになりました。 村の人たちは、大変な努力の末、天保(てんぽう)14年(1843)には、借金を全て返して立ち直ることができました。 このときの奉行への感謝の気持ちを込めて、建てられたのが「潤徳安民碑」です。 |
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