2階 展示室案内



 種子島に伝来した鉄砲は、最初、大阪の堺や和歌山の根来(ねごろ)で作られるようになりました。伝来して7年後には、早くも畿内(近畿地方)で実戦に使われました。
 国友でもさほど遠くない時期に製作が始まったとみられます。大阪の陣へ向けての徳川幕府からの大量注文は、鉄砲生産地としての国友の位置を不動のものにしました。

 鉄砲の伝来や戦国時代に果たした役割などを解説しています。

長篠合戦図屏風 [部分]
(大阪城天守閣蔵)
 織田信長は、この合戦で馬防柵(ばぼうさく)と数多くの鉄砲を効果的に使い、武田の騎馬隊(きばたい)を打ち破りました。

大坂夏の陣図屏風 [部分]
(大阪城天守閣蔵)
 徳川家康は、この戦いで多くの国友鉄砲を使ったと考えられています。

このページの一番上へ


前のページへもどる資料館の案内のもくじへ次のページへ進む

This page was last updated on 1998/10/10.
Authorized by Kunitomo teppo no sato Matchlock Museum.
Copyright (C) 1998. by Hideo Hirobe.