長浜市立北中学校 国語科 3年生 表現「パンフレットを作ろう」



私の街の城ー長浜城ー

担当者前田



長浜城歴史博物館-Nagahama Castle History Museum-

長浜城は、豊臣秀吉が天正年間(1570年代)に長浜の領主となったときに築いた城。1983(昭和58)年に再建された。
3層5階建城郭様式の長浜城は、豊公園湖畔に位置する。
城の用水に使われた井戸の一つが、現在湖の中にあり、「太閤井戸の跡」として残っている。天守台の下は日本庭園となっていて、周辺は緑に恵まれた憩いの場として最適である。
博物館の天守展望台からは、湖北を一望でき、竹生島、姉川古戦場、小谷城あとやしずが岳も望める。
湖北の文化や歴史を、ナレーションと環境音で楽しく学べるようになっている。




◆◆◆ 長浜城のうた ◆◆◆
湖の城ー長浜城 作詞藤居利夫
作曲野村正峰
一、琵琶湖の岸に立つ影や
長浜の城天守閣
曳山ばやしに思い出を
つづる錦の絵巻物
三、豊公園の松青く
天正の世は今はるか
長浜の街豊かなる
いさお称えんとこしえに
二、豊太閤の青雲の
おもいこめたる出世城
千成ひさごゆくところ
六十余州は波しずか
四、寄せてはかえすさざ波に
栄枯のあとを偲びつつ
まなこもあつく仰ぎ見る
ああみずうみの長浜城



長浜城の始まりから今・・・

1574(天正2)年頃、豊臣秀吉は地名を「今浜」から「長浜」に改め築城を始めた。
そして間もなく長浜城は完成し、築城とともに城下町の形成にも力を入れた。城の東側に碁盤目状に道路を設け、市街地をつくった。
本能寺の変後、秀吉は長浜を去り、1582(天正10)年に柴田勝豊が入城した。その後、1585年から90年まで山内一豊が城主を、江戸時代に入ると1606(慶長11)年、内藤信成が入城したが、1615(元和元)年の大阪の陣後、長浜城下は彦根藩領となって廃城した。建物、石垣は解体され、彦根城築城のために使われた。
現在、長浜城には、太閤井の碑と、長浜城の残石を使って積み直された石垣がある。石垣に囲まれた高台には秀吉の像が湖に向かって立っている。

表にまとめると・・・
西暦城主できごと
1574羽柴秀吉今浜に築城を始める。
1582柴田勝豊 清洲会議の結果、秀吉が去る。
勝豊入城
(1583)(堀秀政) (長浜は、佐和山城主となった堀秀政の
支配下となる。)
1585山内一豊一豊入城
1590
一豊掛川城主となる。
(1591)(石田三成)(佐和山城主石田三成の支配下となる。)
(1600)(天領)(長浜は幕府が直接治めるようになった。)
1606内藤信成信成入城
1612内藤信正 信成死去
信正城主となる。
1615
彦根藩領になり、廃城。



*参考資料



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