長浜市立北中学校 国語科 3年生 表現「パンフレットを作ろう」



国友の今と昔

担当者細江



謎?国友鉄砲

国友鉄砲がいつ、どのようにして始まったか正確なことはわかっていません。それらを証明する資料は今のところ見つかっていないので、本当のところ、国友鉄砲は謎につつまれているのです。



どうして国友に鉄砲が?

鉄砲が伝わったその次の年の1544年。そのころには早くも国友の地で鉄砲が作られたといいます。でも、鉄砲が伝わったのは種子島なのにどうして湖北の国友にまで伝わったのでしょう。その理由は・・・
国友には鉄に関する古い地名(タタラ、伊吹(いぶき)、ケラなど)が数多く残っています。つまり、古くから製鉄技術が伝わっていたわけです。それに湖北地方では質の良い鉄材も手にいれる事が出来ました。

「製鉄技術+質の良い鉄材→国友鉄砲鍛冶」こうして国友鉄砲の歴史は始まりました。
歴史の三大人物も鉄砲を!?

戦国時代から江戸時代の初めまでに活躍した三人の人物。そう、みなさんもよく知っている織田信長、豊臣秀吉、そして徳川家康です。この三人は国友鉄砲と深い関わりがあったと考えられています。
まず、鉄砲隊で有名な織田信長。最初みんながあまり注目しなかった鉄砲を、はじめて戦いで使い、大勝利をおさめました。その信長が使った鉄砲がどこで作られたか、正確なことはわかっていません。でもその当時家来であった秀吉に治めさせた国友であったと考えられています。
そして秀吉も国友鍛冶を配下に治めました。また徳川家康の命令によって作られた国友鉄砲も、大阪の陣で大きな力を発揮しました。
このように、国友鉄砲は時代の流れとともに発展してきたのです。

現在の国友

昭和55年頃から、国友の町づくりがはじまりました。ゴミ捨て場となっていた姉川をよみがえらせようというのもその一つです。でも町づくりの大きなもととなったのは、五人の人々が作った「鉄砲研究会」です。この五人から運動が広がり、国友では

1鉄砲鍛冶(てっぽうかじ)の歴史的研究と鉄砲隊の編成 2花火陣屋(はなびじんや)や伝承踊りの復元 3鉄砲資料館の建設、という大きな3つのうねりが生じ、町の人達はそれぞれに参加しながら「国友文化村づくり」に力を注いでいきました。特に国友鉄砲資料館はとても有名です。

今、国友町では、キラリと光る小さな世界都市づくりに磨きをかけ、「風あいのあるまちづくり事業」への取り組みがはじまっています。
今も昔も、いろんな人々の力や協力によって発展してきた歴史深い町です。長浜に来るときには、ぜひおたちより下さい。


※参考資料 長浜市制50周年記念誌「長浜物語」、「長浜の歴史」、インターネットホームページ「ふるさと長浜〜子ども達に伝えたい〜」
より引用させていただきました。


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