長浜市立北中学校 国語科 3年生 表現「パンフレットを作ろう」
「君の瞳に・・・。」
「だめなの。」
「ガビイン。」 というわけで始まりました。あなたへの大通寺ページ!!
これを見た人はちょっとやばいかなーーーー?
みんな知ってるあの「ひらけい」こと平野圭一君がおうくりする
大通寺情報ーー!ゼッタイ損はさせないよ。
続本 長浜の歴史より
(1)大通寺の建立
御堂前(みどうまえ)の商店街を通りぬけると、大きな山門がそびえています。
広々とした境内(けいだい)、どっしりした重みのある建物、東本願寺の別院で「御坊さん」(ひらチェック1:「ごぼう」さんっす!)(大通寺ポイント5)と呼ばれ、人々の生活に深く結びつき、親しまれてきたお寺です。
教如上人(きょうにょしょうにん)を深く慕う(したう)湖北の真宗門徒は、「毎月十四日」に上人の御文を読む「十四日講」をつとめてきました。
「十四日講」に人々が集まる場所は、はじめ長浜城内にあり、長浜御堂(ながはまみどう)と呼ばれていました。この御堂(みどう)が現在の場所に移されて、大通寺となりました。大通寺は四十年余りをかけて造りあげられ江戸時代を通して発展し続けました。
境内は広く、およそ七千坪(畳一万四千枚分:一坪が畳二枚分)で、壮大なケヤキ造りの山門は、文化年間に常喜町(じょうぎちょう)の大工宮部太兵衛(ひらチェック2:みやべたへえを誰かしらない人に特別に)(大通寺ポイント10)らに建てられたと言われています。台所門は、長浜城から移されたものです。その奥に、本堂、含山軒(がんざんけん)、蘭亭(らんてい)、広間など、多くのお堂が建ち並んで、東本願寺の別院にふさわしい風格が感じられます。
(2)湖北の信仰の中心
大通寺は長浜御堂と呼ばれた昔から、長い間湖北の人々の信仰の中心でした本堂とその周囲に建ち並ぶ建物は、江戸時代の初めごろ建てられ、その後ずっと、人々の信仰を支えてきました。
「総会所」(ひらチェック3:「そうがいしょ」なんだな)
(大通寺ポイント5)
では教如上人の御文を読み、今も毎月定例の布教がなされています。
「因講」(ひらチェック4:「ちなみこう」なんです。そおなんです。
川平慈英 風)
(大通寺ポイント 因講の方...15川平慈英の方...15)は信者が集まり、二十三日講をつとめる所です。「白砂会所」は十四日講をつとめる、湖北三郡の総道場です。「茶所」(ひらチェック:「ちゃじょ」だっつぃーーの)(大通寺ポイント5)
(@@) ガ (・・)/
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は二十八講場で女人講や示談講もありました。
このように、人々の信仰に深くむすびついてきたこれらの建物に加えて、昭和の初め、さらにいくつかの建物がたてられ、湖北の信仰と伝道の
かなめとなってきました。
毎年、七月上旬につとめられる夏中法要は、江戸時代から今日(こんにち)まで、湖北の町々をわきたたせる大きな年中行事です。期間中は、湖北一帯は言うまでもなく、遠くから多くの参詣の人々が集まりました。荷車にたき木やお茶を積んで、家族づれで来た山村の人たちや、近所で誘い合って来た人たちが法話を聴き、仏縁を喜び合いました。
(4)大通寺と門前町
多くの人々が参詣に集まってくると、門前の御堂前を中心に長浜の町は、買い物をする人や泊まる人たちでにぎわい、発展していきました。
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