長浜市立北中学校 国語科 3年生 表現「パンフレットを作ろう」
北国街道は長浜市の中心街を通っている幅員が5メ−トル7メ−トル程度の歴史感あふれる道路です。南北に1キロメ−トル以上にわたってのびている道路なので、「この道には何か深い歴史がある」と思って調べてみることにしました。
今となっては長浜の重要な観光地となり、多くの店が立ち並ぶ地域のひとつとなった北国街道・・・。しかし、この風情がありどこか落ち着く町並みが年々崩れてきています。
「高層ビルが建てられるらしい。」
そんな話が出て来たとき、街道で旅館を営む恩田さんは、強い危機感で人々を説得してまわりました。そして、その努力が実って平成2年秋に誕生したのが「北国街道町衆の会」です。この会では「自分達の町をもっと快適で美しいものにしよう。」をモット−にさまざまな活動が行なわれてきました。大きな活動のひとつとして、平成3年に「まちづくり協定」が締結されました。これは滋賀県下でも数少ない市街地地区でのまちづくり協定の一つで、行政とともに街道づくり事業が行なわれています。石畳の色や大きさにしても話し合いがもたれ今の個性あふれる道路ができあがったのです。
もともと北国街道とは、滋賀県から北陸の福井・金沢方面へ通じる道として、また主要交通路としての役割を担っていました。街道が整備された江戸時代には、米原、木之本、中河内、そして長浜に宿駅が置かれていました。そもそも長浜の町は、今浜という湖岸の一寒村だったところが、浅井氏の滅亡後、小谷城に入った羽柴秀吉によって天正二年(一五七四)から築城と城下町づくりが行われたことを町の始まりとしています
そして問題の江戸時代には、宿場、港町、門前町、商工業の町として栄え、宿場には、本陣や旅篭八軒のほか、馬十四匹が置かれていました。街道筋の船町付近には船問屋十三軒が並び、船持ち五十四戸が集まり、大丸子船六十七艘と琵琶湖第三位の数を数えました。
長浜市の北の外れには「為往来安全」という大きな石灯篭があります。この石灯篭は長年旅人の安全を祈ってきました。また、北国街道の群上通りは明治四年(一八七六)に最後の仇討ちがあったところで、金沢県士多賀賢三郎が討たれたところでもあります。これらは街道筋ならではの出来事ではないでしょうか「「「。
ある書物には「町は、古いものと新しいものが混在しながら調和している姿が一番快適で魅力的である。」と記してありました。確かにそうかもしれません。しかし、私はせっかく昔から受け継がれてきた美しく趣のある町並みなんだから残せるところまで残していきたいと思います。
明治5年(それまでのものは大火事で燃えてしまった)からずっと市民の暮らしを息づけてきた町並み・・・そんな町並みが壊れていくのはあまりにも悲しすぎる事実です。現在、旧長浜町の中には伝統的な様式を残している町家が、約150棟もあるといわれています。
「150棟も」じゃなくて「150棟しか」だと思いませんか?
私が1人の長浜市民として言わせて戴くならば、「この150棟もの町家をずっと壊さないで保護していきたい。そのままの形で21世紀まで残していきたい。」と考えます。
こんなことを偉そうに言える立場じゃないってわかっています。
けれど、最近の長浜市を見ていると昔ながらの町並みが本当に減ってきているように思うんです。この想いをわかってもらいたいんです。
昭和59年 | ★博物館都市構想を策定し、長浜らしい町並みの再生を提案。ケ−スス タデイとして北国街道の整備を打ち出す。 |
昭和61年 | ★湖北地域観光振興計画を策定。統一テ−マを「北国街道」とし、ポス タ−やパンフレットでPR開始。 |
昭和62年 | ★アニメティ長浜プランを策定。快適環境づくりの重要な要素として、伝 統的な町並みの再生を提案。 |
昭和63年 |
★北国街道基本調査を実施。調査団長は滋賀県立短期大学の室谷誠 を委嘱地元商店主、郷土史家商工会議所職員、市職員など約30人が、 建物班、町並み班、歴史・生活班に分かれて現地調査を行う。
★自治省のふるさとづくり特別対策事業に「北国街道整備事業」が採 択を受ける。5か年事業として、まちかど広場の整備、橋の修景、路面 の修景舗装などを開始する。この年は、黒壁周辺まちかど広場と路面修 景舗装を行う。
★商店街環境整備の一環で、地元商店街が町並みに調和した行灯型 の街路灯につけ替え。
★株式会社黒壁を第3セクタ−で設立。文明開化の銀行建築の再生が スタ−ト。
★「北国街道うまいもん処うだつ会」を結成。北国街道周辺の飲食店 や菓子店などが一店一品運動に取り組む。 |
平成元年 |
★市の美しい観光地づくり事業補助を北国街道沿いの建物にも適用。
住民にも町並み整備の気運が高まる。
★黒壁スクエアがオ−プン。
半年後には、物産館「札の辻本舗」もオ−プ ン
★北国街道整備事業の一環として、市で幼稚園前まちかど広場の整備 ・日の出橋の修景、路面の修景舗装などを行う。 |
平成2年 |
★北国街道沿いの人たちが、「北国街道町衆の会」を結成。自主的な 町並み保全の取り組みを始める。
★北国街道町衆の会が近隣景観形成協定(町並み協定)を締結。県 の風景条例による指定を受ける。
★北国街道整備事業の一環として、市で路面の修景舗装などを行う。 |
平成3年 |
★北国街道町衆の会で、北国街道の北と南に案内板を設置。
★北国街道整備事業の一環として、市で路面の石畳舗装などを行う。
★JR北陸本線直流化による京阪神方面との時間距離の短縮に伴い、 北国街道への観光客が飛躍的に伸びる。 |
平成4年 |
★北国街道整備事業の一環として、市で路面の石畳舗装、お旅所前ポ ケットパ−クの整備などを行う。
★黒壁ガラス鑑賞館、レストラン、ひょうたん館、ステンドグラス工房などが 相次いでオ−プン。 |
上の写真は、左が今も残る昔風の町並みで、右が黒壁ガラス館です。
これらは、長浜の雰囲気をかもし出している素晴らしい建物ばかりです。
長浜を訪れる観光客のほとんどが黒壁を訪れます。
そして、北国街道を通ります。
人々は心動かされ、多くの写真などを撮ります。
北国街道には、人の心までを動かす家々が建ち並び、今もその町並みが受け継が れています。上記で私は、後世まで北国街道の美しい風景を残してほしいと書きました。しかし、そればかりがすべてじゃないんだってホ−ムペ−ジを作っていてわかったような気がします。
このホ−ムペ−ジは、市外の人よりも長浜市在住の人に読んでもらいたいです。
そして、もっと長浜市の良さや北国街道の町並み保護に対する意識を高めてもらいたい
です。 |
本当に好き勝手書かせていただいたホ−ムペ−ジでした。
皆さんに最後まで読んでいただいて、みなさんが何か少しでも感じていただけたことがあ ったなら、それ以上うれしいことはありません。
本当にありがとうございました。
<参考資料>
★Webペ−ジ「ふるさとながはま〜こどもたちに伝えたい〜」
★長浜市制50周年記念誌「長浜物語」
上記より転載させていただきました。ありがとうございました。 |
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