長浜市立北中学校 国語科 3年生 表現「パンフレットを作ろう」



日本最古の駅・旧駅舎

担当者Y,T



東海道線がまだ建設されていない明治15年、長浜 〜敦賀間に陸蒸機関が走りました。長浜は維新政府が国運を賭けた鉄道の町でした。当時の新橋駅をお手本にして作られたのがこの駅舎だそうです。

  私は、興味を持ち調べてみることにしました。 

鉄道建設の決定
 長浜の長い歴史の中で、幕末から明治にかけては、まちの一大変革期でした。なかでも1882年(明治15)に日本で6番目(貨物船を除く)に敷設された長浜〜敦賀間の鉄道開通は、それを大きくうながしました。1869年(明治2)、政府は維新のあとの不安定な社会情勢のなかで鉄道建設を決定しました。産業をおこし、日本が欧米の先進国に追いつくためには、どうしても鉄道が必要だったのです。
 しかし、国の予算が乏しいため、すぐには着工できませんでした。 1879年(明治12)ル−トが長浜〜柳ヶ瀬〜敦賀(現在の国道365号線に近いル−ト)に決まり、長浜〜大津間は琵琶湖の汽船連絡と決まりました。

日本最古の駅舎・旧長浜駅舎の完成
 明治15年3月10日、長浜の湖岸に西洋風の立派な駅が完成しました。東西24.5メ−トル、南北9.4メ−トルの木骨構造の石灰コンクリ−ト造り2階建ての大きな建てもので、壁の厚さは51センチメ−トルもあります。鹿鳴館長の建築様式を取り入れたりして、大変モダンで豪華なものでした。
 また、2階の屋根組には、トラス工法という近代的な構造と技術が取り入れられていましたイギリス人の技師を招いて設計されたもので、当時の日本では珍しい外国風の建物でした。この建物は、わが国に残っている駅の中では一番古く、鉄道記念物になっています。

トンネルの入口をかざる
 旧北陸本線の柳ヶ瀬トンネル東口(滋賀県伊香郡余呉町)にかかげてあった石額で、伊藤博文が題字を書いています。
万世永く頼むと読み、この鉄道が世の中のために働いてくれることをいつまでも長く頼りにする、という意味です。



当時の駅員の姿
 当時の駅員は21人で、はおりはかまや、はっぴに股引という
いでたちでした。駅長だけが洋服に短剣をつっていたそうです。




3鉄道開通当時のにぎわい
 この駅の完成によって、物資の集散地としての役割がさらに強まり、長浜の商工業の発展のきっかけとなったのです。旅人宿38軒、運送店15軒、飛脚業4軒が船町一帯に建ち並び、人力車72台が往来していたことからも、そのにぎわいぶりが目に浮かんできます。 また、米川下流を中心に、滋賀県各地の品物が船で運ばれてきたり、湖北の産物(米など)が運びだされたりするなど、廻船問屋街(かいせんどんやがい)になっていたことも、にぎわいの一因になっていたのです。

   このように、この駅舎が完成したことにより町中に大きな変化を与えてきたのです。

(鉄道資料館の資料参考)



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