長浜市立北中学校 国語科 3年生 表現「パンフレットを作ろう」



我が町の文化財
「底樋」

担当者



「底樋」とは?


底樋の水門
底樋とは、江戸時代の始め農民たちが安定した水を得ようと姉川の伏流水を利用したものです。



「底樋」の仕組み


底樋の水路

川原に大きいみぞを掘ってその中に丸太を組み石を積んで沈めます。すると、川底をくぐった川の水が丸太や石の間をつたって水が流れ出る仕組みです。これを底樋と呼びます。



馬井(うまゆ)の底樋について


馬井の底樋の碑
 今村(現今町)にある馬井の底樋は、元禄元年の洪水よって流されたので庄屋孫助、惣右衛門らが彦根藩に改修するように願い出ました。
 当時の奉行大根田猪右衛門(おおねだいうえもん)は、幕府の許しを受け七十八間(百十メートルほど)を新たに作りました。しかしそのご、干ばつで用水不足になりさらに、つぎたしを願いでました。
 文政元年 佐藤隼人が奉行になると庄屋七五郎らの願いを受け入れて三十五間底樋をつぎたしました。明治三十七年、当時の三万七千円で工事をしました。
現在の底樋は、昭和四十二年に作られたものです。



底樋に関わりの深い二人の奉行


「佐藤隼人」「大根田猪右衛門」
(さとうはやと)(おおねだいうえもん)   
元禄元年の改修の時の奉行が
大根田猪右衛門です。(右の人物)
文政元年の改修の時の奉行が
佐藤隼人です。(左の人物)
底樋とこの二人の功績に対する
感謝の気持ちをこめて毎年底樋祭りが行われています。



参考資料
馬井の底樋の碑の写真は、廣部豪男様のWebページ
「ふるさとながはま〜こどもたちにつたえたい〜」
また「佐藤隼人大根田猪右衛門」の写真は読本長浜の歴史より
お借りさせていただきました。



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